神田川生活

Love for all, learning from all.

2004.8.1〜2006.4.7

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そして僕は途方に暮れる

 朝からアンニュイ。雨が降ってさらに憂鬱。昨日がんばって土曜出勤は避けられたものの、有効に使えていない。

2004.10.30

五里霧中

 昨日は指揮を執った部長以下、皆疲労困憊していた。施工のチーフは式のため韓国へ旅立ったが、設計のチーフもまた行方不明になっていた。本人から電話がかかってきて娘を連れて病院にいると言ったそうだが、そうではないことが他の情報からばればれ。海外旅行説がまことしやかにささやかれていた。シフト予定業務の担当者が休んだので早速自分がかり出され、振り回された同僚はもう本気で年内に辞める宣言を自分にした。予想されたこととはいえ、先が思いやられる。まあ少しずつでも前に進むしかないのだが。

2004.10.30

二足の草鞋

 一時期話のあった自分のある業務へのシフトがそろそろ本決まりになりそうな感じ。まだ正式には話がないが、ゆくゆくは今の業務と掛け持ちしてやってほしいらしい。なんだかある人物の追い落としもからんでいるような。年末からゴールデンウィークあたりまでの繁忙期を控え、どうなることやら。

2004.10.29

ついに来た

ソフトバンク、ケーブル・アンド・ワイヤレスIDCを買収
プレスリリース

 日本テレコムに続き、着々と進んでいるのか。着々はもちろんだが早急に進めないとまずいのが被災地の復旧。新潟では雪が降るそうな。

追記:出勤して他の人に話すと日本法人は出張所のようなものだそうで、売り上げも芳しくなかったので本社の方でも売却が決まって万々歳だったのかもしれない。

2004.10.27

対岸の火事

 なんでも電話の復旧のために新潟へ応援を送る話があるらしい。まだあまり集まっていないので協力を頼むこともあるかもしれない、と一次下請の部長が朝礼で言っていた。実際に要請されたとして、どれくらいの人が応じられるんだろうかとふと思う。

 先月は設計のチーフが長期休暇を取って韓国に旅行に行っていたが、今度は施工のチーフが行くらしい。てっきりお姉さんの結婚式だと思っていたら、本人の結婚式で奥さんが向こうの人なんだそうな。国際結婚だったのか。いつもけんかしている話しか聞かないのでそれは知らなかった。いない間はまたしてもいつも振り回されている同僚がさらに振り回されるんだろう。それを考えると頭が痛い。

2004.10.26

豪雨の次は

 銭湯で髪を洗っているとなんだか周囲が揺れていた。始めは気のせいかと思ったが確かに揺れている。今の地震は東京では震度3か4だと他の人たちが話していた。部屋で本を読んでいると上越新幹線が脱線したとラジオから聞こえてきた。そんなに強い地震だったのか。その後あれよあれよという間に大惨事になり少し怖くなった。7月の大豪雨に続いて新潟は災難続きだ。一日も早く平穏を取り戻すことを願っている。

2004.10.23

ガス抜き

 昨日はストレスがたまっていたのか何か語り倒したくてしかたなかった。そこへちょうど派遣元からたまには遊びに来いよと電話で誘いを受け、定時で帰ることができる状況でもあったのでひさしぶりに事務所へ行った。なんでも自分が来るまで社長が待っていてくれたそうで、だいぶましになってきたからあとは女ができれば完璧だなと言われる。社長が帰った後は常務と内勤の男の子と3人でずっと話をしていた。帰りはかなり遅くなったがすっきりしてとても救われたような気持ちになった。

2004.10.22

嵐の行方

 職場がある駅前の松屋は台風が近づいているにもかかわらず、大変な混みようだった。家に帰る前に飯だけはすませておこうということなのかもしれない。連日テレビの前で松井とヤンキースの行方に一喜一憂していた人々は、今年の台風の集大成とも言える超大型台風の接近を前に早々と帰っていった。

 長年のシステムの疲弊と歪みがあからさまになり個々人の考えや方向がばらばらな中で、根本的なところに踏み込まない不毛な話があちこちでされている。とはいえ正論を振りかざしてもどうにもならない。その先が重要だ。巻き込まないでほしいとは言えないが、関わり合いになりたくないから話に参加しないとは言った。後ろ向きで他力本願かもしれないが、今はただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない。なのか。

2004.10.20

復活

 仕事帰りに腕時計のバンドを交換しに行った。昨日は途中で悪い癖が出たために、迷いすぎてあやうく新しい腕時計を買いそうになった。セイコーの光充電、10気圧防水の女性用アナログ。Wiccaというブランド名にまず反応した。そこに反応する自分もどうかと思うが、それを買った方が後々安くつくんじゃないかと思った。だが寸前で思いとどまり、今の時計を活かす方向で行くことにした。複数の腕時計を使い分けている人もいるようだが、自分にはそんな余裕も洒落っ気もない。あとからでいい。

 今日は金属ではなく皮革で探した。もともと黄色い革のベルトだった。ぴんと来たものがあったのでカウンタへ持っていく。交換した後は見違えるようで、心なしか八角形のフェイスも輝いているようだった。うれしくなった自分は店を出ると挨拶して早速はめた。

2004.10.18

案ずるより産むが易し

 今朝はいつもより早く目が覚めた。頭がうまく働かないが、消化器官ががんばってくれたおかげで調子は悪くない。昨日は同僚の母親が働いているいかにも昔の居酒屋という感じの店で、特に雰囲気も悪くならずそれなりに楽しめた。少しはしゃぎすぎたかもしれない。途中から参加して途中で帰ったチーフが隣に座ったときは一瞬緊張した。NTT-MEの基本設計の人たちは実際に会うとイメージと違うとは聞いていたが確かにその通りで、いい意味で裏切られた。ただ「体重26キロって聞いていたから、ちゃんと来れるのか心配していた」という発言はいただけない。冗談にしてもあんまりだ。

2004.10.16

微妙なさじ加減

 最近むだ知識を披露してしまうことが多くなってきて、同僚にマニアックと言われるようになってきた。「博士」というあだ名を付けようとするのはやめてほしい。眼鏡を掛けるつもりはない。とはいえ別のマニアックな同僚に「カーリー」ってどこの神話だっけとネタふりされて即答し、我ながら驚いてしまった。

 得意分野だと妙に多弁な自分だが、金曜日に予定されている飲み会は無口になりそうな気がしている。同僚が企画したNTT-MEの基本設計の人々との情報交換と親睦を図った飲み会は、裏の目的が「チーフの愚痴の言い合い」らしい。盛んに不参加をアピールしていた別の同僚とは違って、強制参加が目に見えていた自分は特に口を挟むこともなかったが、ここへ来て誰もがまずあり得ないと思っていたチーフの参加が決定した。なぜか場所は靖国通りにあるという個人経営の居酒屋。新宿東口のアルタ前集合。さて、どうなるか。

2004.10.13

秋の長雨

 予報ではそろそろ晴れるはずだったが、相変わらず雨が降っている。そろそろ勘弁してほしい。においが強くなる。

2004.10.13

昼に黄昏る

 洗濯をしたあと、たまった本を読んでいた。その中に「SWITCH」の特別号として発行されたCocco特集があった。3年半前にCoccoが活動停止した頃のもので、ちょうど自分も転換期を迎えていた。少し前に絵本と一緒に買い、読み終わったら捨てようとなんとなく思っていた。読み進めながらそんな自分を恥じ、ひとつしか違わないことを思い出す。台風は去っても空は暗いままで、本当に日が短くなった。

2004.10.10

荒れ狂う雨と風の中で

 朝から相変わらずの強い雨だった。昼近くなって雨も小休止した頃に出かけ、買い物など用事を済ませて帰ってきた。しばらくするとまた雨が強くなった。

 近所に台風のさなかオープンした小さなカフェがあり、工事の段階から前を通っていて大いに興味をそそられた。入るのはためらわれた。一度仲良くなってしまえば楽しいかもしれないが、それまでが気まずい。ラーメン屋のように食べてすぐ帰るのももったいない。今日は客も来ないだろうからいろいろ聞いてみるのもいいんじゃないかと思いつつ通り過ぎた。まあ実際は、白と黒のいかにもという服装に身を包んでまだ見ぬ客を待つ、きれいな女の人が見えたから入りたくなり、入らなかったのは銭湯の帰りだったからなのだが。

2004.10.09

台風よりも

 本当かどうかは知らないが10年に一度という大規模な台風が近づいているそうで、金曜の夜はひどい大雨だった。職場で大きめの傘を借りて部屋に戻ると、所属している文章サークルの会誌が届いていた。考えてみれば、サークル自体が活動休止していた時期も含めると入会してから7年半以上たつ。早いものだ。今回のテーマは「青天の霹靂」。最初の人は校舎が半分浸かるような大雨で、祖父君の法事に行ったご両親が家に閉じこめられた話を哀惜を込めて書いていた。まさに青天の霹靂、雨降ってるけどねと頭の中でリフレインしていた。

 自分的には「雨、降っているけどね」というのがポイントなのだが、考えてみれば新潟の例を出すまでもなく、当事者にしてみればしゃれにならない状況であり申し訳なく思いつつも、他人事でいられることはある意味ありがたいのかもしれない。そんな自分を不安に陥れるように、雨は強くなる一方だ。

2004.10.09

危機迫るか?

 今週になって以下のニュースが職場に話題になっている。

「Yahoo!BB 光」スタートへ 1Gbpsを共有
ソフトバンクBB プレスリリース

 これでダーク(ダークファイバ。NTTが未使用の光ファイバを他の通信事業者に貸し出した回線の通称)の件数がBフレッツ並に跳ね上がるんじゃないかともっぱらの噂だ。ふたを開けてみなければ何ともいえないがどうなることやら。

2004.10.06

人は変えられないというけれど

 半月にも渡る長期休暇で周囲を振り回したチーフが昨日やっと顔を出し、今日から復帰した。本来なら1日から出勤のはずが4日に延び、しかも4日には姿を現さなかった。機嫌がいいときと悪いときの差が激しすぎるので、緊張で少しどきどきしていた。有能ではあるが傍若無人な俺流を貫く態度に若くして多くの敵を作り、誰も表だって非難できないでいる。いつも他の人に用事を頼まれて振り回されている同僚は、その対応の差に不満げで互いに嫌っている。今回半ば代役を務めたが、嫌気が差して派遣元の社長に辞めたいと電話したそうな。彼には言わなかったが個人的にはまだやめてほしくない。チーフも復帰したところで彼には少しは楽になってほしいところ。

2004.10.06

ついにやってしまった

 エラーで表示されなかったが以下のように昨日書いた。

 朝起きるとひどい大雨だった。だがそれ以上に驚いたのは下の住人の柄の悪さだった。年は同じか下だと思うが、近所の人にやくざまがいの因縁の付け方をしていた。最初は申し訳なさそうだった近所の人も聞き流しモードに入っていた。つくづく今のアパートにはろくな人がいない。他の住人をろくに知りもせず言っているが、建物の関係である意味しかたがないところもあり、よく話のネタにしている。

 昼近くになると雨も少しは勢いが弱まってきて、とある講演会に出かけた。金曜日にメールが来るまでは予約していたことすら忘れかけていた。いろいろと気づきもありパワーをもらったはいいものの、靴底に穴が開いていたのでひとまず靴を買いに行った。それからまた感覚の海に入る。なんだかあっという間で次の日が月曜日だということが信じられない。起きたら新しい靴でダッシュだ。

 よほど信じられなかったのか、次の日寝坊して遅刻した。どこでもドアでもなければ間に合わない時間だったので、あきらめてゴミを捨て米を炊いた。

2004.10.04

月はまた下弦に向かう

 映画から戻ってきて日記を更新するとひさしぶりに夜遅く銭湯へ行った。台風が去ってからは月がとてもきれいで、やはり旧暦8月の月は違うのかと意味もなく思った。

2004.10.03

未来の行方は子供たちの手に

 ひたすら直感と感覚に突き動かされたような日だった。郵便局に行くついでに買い物をし、書店にも寄り、新宿に移動してまた買い物をした。駅前ではちょうどイチローの大リーグ記録更新の号外が配られていた。一打席目で追いつき、二打席目で更新したとはなんとも頼もしい限り。すばらしい自己コントロールだ。

 部屋に戻っていろいろやっていると時間になったのでまた出かけた。UPLINK Xでの「プロミス」「アフガン零年」の同時上映が来週の金曜日で終了してしまう。電車から見える竹下通りの人混みにめまいを起こしそうになりながら、渋谷の人混みには酔わずに地図を片手にサンダルで走った。おかげでぎりぎり間に合い、販売もしているらしい自慢のいすにゆったりと腰掛けた。

 「プロミス」はパレスチナの難民キャンプの子供たちとイスラエル人や正統派ユダヤ人の子供たちに取材をして、双方の子供たちの交流を描いた作品。検問所で分かたれた対照的で似て非なるパレスチナとイスラエル。「B・Z」がいなければ出会うことのなかった子供たち。間近に死を経験しているせいか、信仰と教育の賜物なのか、ときとして子供たちの視点は大人びて涙ぐむとともに考えさせられた。男の子と女の子の考え方の違いに妙に納得し、教育と想像力の重要性を痛感する。言うは易く行うは難し。

 「アフガン零年」はタリバン政権下で身内の男性を伴わない女性の外出を禁じられた中、戦死した父や兄の代わりに少年になりすまして働きに出た女の子の物語。重苦しい雰囲気が全体に立ちこめ、途中から、おびえきった少女の不安が伝染したのか最後まで憂鬱だった。明確な結末が用意されておらず、全体の空気とともにそれがアフガニスタンの今を象徴しているのかもしれない。イラクの陰で忘れそうになっていた。希望と束縛の隠喩だという少女のなわとびが印象的で、あきらめだけではない強さを思わせた。

2004.10.02

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