神田川生活

Love for all, learning from all.

2004.8.1〜2006.4.7

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収穫と代償

 日曜はとあるイベントのために昼から出かけ夜中に帰ってきた。昼はマッドビデオの大作、コラージュ・ギャグシリーズの「タクラビジョン」が15周年を記念しての内地初単独上映会、夕方からは自分が毎回足を運ぶ自主映画団体「映像温泉芸社」の年に一度の大祭的なイベントだった。自分としては後者がメインだったはずだが、前者の方が満足度が高かった。

 前者は予想をはるかに上回る大変な動員数ながらなんとか入場制限に引っかからずにすみ、立錐の余地もない中で通されたところにちょうどイスとテレビがあり、特に疲れることもなく映像を間近でじっくりと堪能することができたことが大きい。まあ後者の満足度が低かった理由はなんとなくわかるような気がする。

 そんなこんなですっきりして迎えた月曜だが、出勤してみるとまたも週末で体調を崩したのかH氏欠勤ということでさんざんだった。前の職場でたまに自分が休むと約一名中傷まがいのことを言ってくる同僚がいたのだが、今ならその気持ちがわかる。

2005.06.28

エモーショナル&パワフル

 土曜日の今日は早起きして洗濯や掃除をしていた。そうこうするうちに時間がたち、表参道の待ち合わせの場所へ行く。イベントの前に喫茶店に入った。待ち合わせ相手のふたりと出会ってから本当にいそがしくなったとよく思う。おもしろいからいいがもう少し時間がほしい。前回の講演会のスタッフの印象を聞かれてよくわからない答えを返した自分だが、全体としては楽しそうでカオスのような印象を持っている。何が生まれるかわからない原初の海のような。

 それはさておき、今回の講演は水気耕栽培「ハイポニカ」の研究開発などで知られる野澤技研の野澤三郎氏。市販のトマトの種が16000もの実を付けたことから「生命の持つ無限の可能性」「環境を受け入れつつも、自らの持つ可能性を信じることの大切さ」について話し、汚れた水に根を張る写真は釈迦の蓮華の話を思い出させた。講演の最中は思わなかったがあとのトークライブや質疑応答での対応を見る限り、前回の佐治さんを天才肌とするならば今回の野澤さんは職人肌なのだと思う。

 野澤さんとは何回もやっていて信頼関係ができているから今回のトークライブは室長の話がたくさん聞けるはず、とは聞いていたが予想以上に走りすぎていた。エネルギーを放出しまくり、話したくてたまらないという感じ。主役を差し置いていつもの話でワンマンステージ状態だった。会場はとても暑くなり眠い割には頭が冴え体はすっきりしている。「会場にエネルギーをもらう」とはよく聞く話だが、もしかしたらそれに近い状態なのかもしれない。そのせいかどうかはわからないがひさしぶりに家鳴りを聞いた。昔は実家や朝礼中の体育館でよく聞いたものだがいつからかまったく聞かなくなっていた。

 最後に野澤さんがちょっとした余談を披露したことで会場に波紋を投げかけ、終わったあとはそのことについて自分が話したくてたまらなかった。

2005.06.25

旧交を温める

 木曜日は大学の寮時代、同じ階のOBで工場長をやっている先輩が資格試験のため上京し、飲みの招集がかかっていたので定時で上がった。当日早く帰れるように前日遅くまで残り、何らかのアクシデントで次の日に影響が出てネタにされるのはなんとしても避けたかったので、万全を期した対策を講じて臨んだ。

 たまたまこの日都合が付いたのは自分を含めて3人で、他の階の先輩で寮時代はほとんど話をしたことがなかったAT&TのネットワークスペシャリストのSさん、同じ階の先輩でNTTで技術を極めた父親を持ち、主に独特な恰好で有名だった東京消防庁勤務のOさん、ひとり半分世代が下でNTTの施工会社で働く自分という、気がついたら電話つながりのメンバーだった。場所はNTT勤務で参加できるかどうかあやしい同じ階の先輩を考慮したということで新宿だった。自分にとっては何かと都合がよくちょうど良かった。

 途中からひさしぶりに日本酒を飲みながらいろいろな話に花が咲いたが、意外に時間がたつのは遅かった。もうひとりの人はどうやら来れずじまいのようで、先輩もそろそろ電車に乗らないと帰れなくなるということで駅へ向かった。見送りのあと残った3人で他の店に行くことになり、たまたま入った店で今度は半ば電話議論となった。まあこれはメンバーがメンバーなのでしかたないかもしれない。最初は店に不快感を感じていたがそんなことは気にならなくなった。店を出たあとまた駅へ向かい、Oさんと別れてSさんと仕事について話しながら帰る途中、寿司屋に入り遅くまで語り合ってしまった。あるプロジェクトに関わるSさんの大変さに比べれば自分なんかははるかにましだなと思いつつ、縁の妙に思いをはせる。途中きれいな女の人がひとりで来て店の人にこんなものが食べたいと希望を伝えて、ひとりで食べて帰ったのがなんだかかっこよかった。

 仮眠を取ったあと出勤し、着替え中に同僚が話を振ってきた。何事もなかったと知ると「今日遅刻してこそ『酒キャラ』としてキャラ立ちするのに」と笑った。そんなもの立たなくていい。というかこれ以上話に尾ひれが付くのはごめんだ。とにかく眠かった。

2005.06.25

お約束

 午前中に元請の本社で健康診断があった。今年は去年はなかった採血があった。体重は相変わらず軽く、血圧は相変わらず低い。血が抜かれている様子をじっと見ていると、ちょうど最後の1本の途中で腕をしばったチューブの空気が抜けてしまい、あわててはずされガーゼが当てられた。この時点でかなり気分が悪い。やり直そうとする女の人に気分を聞かれたので正直に言い、隣で採血していた人から休ませてからやったらと助け船が入る。後ろの方で机に突っ伏していたら、横になりたいか聞かれて心電図をとっている隣のベットでしばらく横になっていた。原因はいくつか思い当たるが、まさかこんな低血圧を絵に描いたような目に遭うとは思わなかった。

2005.06.21

八面六臂

 とある講演会へ行った。今回は佐治晴夫氏。宇宙物理学者でさまざまな肩書きを持ち、かつてNASAのボイジャー計画にも関わっていたらしい。とても70歳には見えない。「1/fゆらぎ」の人としか知らなかったが、実はすごい人だった。「宇宙研究が教えてくれること」というテーマで宇宙の話がメインになると思いきや、早めに来た迎えの人を待たせないようにと急いでいたら、必要な荷物を一切合切忘れてきてしまったとのこと。そのため思いつくままに話が進み脱線につぐ脱線となったが、逆に氏の各方面に対する造詣の深さを思い知らされる恰好となった。休憩中に後ろからああいう人が数学を教えてくれたらよかったのにという声が聞こえてきた。

 というか音楽の道には進めないことがわかったので、一番近いということで数学の道に進み並行してキリスト教神学を学び、その後大学院で物理学と並行してヘブライ語を学びサンスクリットも学んで、数学者は食えないだろうと食うための手段確保として易学の学校へ行った人はなかなかいない。美を追究し、「まど・みちお」と「フラクタル」を同列に語ることのできる人もなかなかいない。まさか親鸞の「他力本願」の話まで出てくるとは思わなかった。

 最後になぜボイジャーにバッハの曲を積んだかということを説明するためにピアノを使い、その流れで平均率クラヴィア曲集、第1巻、第1番「プレリュード」を弾いた。本人は楽譜もなく粗末な演奏をお聴かせして申し訳ないと謙遜していたが、自分としては曲が始まった瞬間不覚にも涙が出そうになった。

 人間の歴史はある意味からすれば戦いの歴史であり、遺伝子には戦って滅ぶというプログラムが組み込まれているかもしれない。そこで宇宙における生命の位置づけを知るために地球の外にいる生命体を探す必要がある。そこまで地球人は追いつめられている。受精後胎内で最初にできるのは聴覚の器官であり、ETにとってその音が雑音にならないように数学の論理がある音を使う。音の高さは1秒間の振動数で決まり、この振動数がもとの音の整数倍の音を「倍音」という。ある音の2倍、3倍、4倍、5倍と倍音を合わせたときの一番単純な音の組み合わせから構成されているのが、バッハの「プレリュード」なんだそうな。

 芸は身を助けるというか、好きこそものの上手なれというか。

2005.06.19

都合のいい解釈

 気がついたら週末更新ペースになっている。

 昨日の昼間、友人に誘われてあるイベントに行った。行かなくていいものをわざわざ行ったわけだが、そこでふとまた自分は同じことをくり返そうとしていることに気づき、つい笑ってしまった。特に後悔はしていない。だがのちに必要になるとしてもどうしてこうもくり返してしまうのか。一度部屋に戻って向かった先でも昔からのある懸案テーマが出てきた。夜の道は夏のにおいが充満して気持ちを軽くさせ、なぜかなつかしい気持ちにさせる。

 あとで直感が的中したことがわかり、自分の行動は確定された。そんなときでもなければ自分のとった行動の意味について考えることもないし、この結果がもしかしたら自分の発した問いへの答えなのかもしれない。人間万事塞翁が馬ともいい、人生何が幸いするかわからない。なるべくなら少しずつバージョンアップしながら最善を生きるための選択を心がけたい。何が起きても対応できるようにするためにも。

2005.06.19

来し方行く末

 いろいろデータを集め整理してみると、すべてがある方向を指していた。他にもひそかに危ぶんでいたことが裏付けられてしまった恰好となり、なんとなくおもしろくない。おもしろくないのは無い物ねだりもあるだろう。せっかく求めているものと与えられているものが重なっているのだから突き進んでしまえば良さそうなものだが、それをせず脇見ばかりしている。この辺で形にしておかないと同じことをくり返すばかりだ。インプットばかりしていてもしかたがない。知識は使ってこそ。

2005.06.12

金曜の決着

 抜歯が原因かどうかわからないが、朝から非常に体調が悪い。迷った末に少し休んでから出勤すると同僚に連絡した。横になっている間、実はまだ血が止まっていなくて貧血になったんじゃないかという考えが浮かぶ。多少良くなったところで起き出して職場に向かった。途中ひそかに懸案となっていたある手続きの仕上げをすませる。肩の荷が下りて安心と解放感に満たされた。あとはうまくいくことを願うのみ。昼休みは前日の抜歯の消毒に行く。仕事が終わって帰る途中、今週もいろんなことがあったがなんとかなったなとしみじみ思った。助かった。ありがたい。

2005.06.11

木曜の清算

 昼休み抜歯に行った。学生の頃以前から抜いた方がいいと言われていた親不知を抜いた際、神経を傷つけるからと半分だけ削ってそのままになっていた歯を今度こそ抜くことになっていた。抜く前に「災難だったね。そのとき抜いてもらえばよかったのに。腕の悪い医者に当たってしまったんだね」と言われる。まわりの組織とくっついて抜きにくくなっているらしい。かなり手こずっていて耐えに耐えているとなんとか抜けたようだ。「今は抜けただけでもよかったと思ってください」とのこと。生きている歯はすんなり抜けるが、死んでいる歯はなかなか抜けないそうだ。若干気になるところはあるものの、さんざんな思いをしたかつての抜歯と比べると特に問題はなく、確かにあのときの歯医者はあまり腕が良くなかったのかもしれない。

2005.06.11

なぜだ

 NTTは光ファイバーの宣伝よりも116の宣伝をしたほうがいいと思うがいかがだろう。NTTマークがあるだけでみな寄ってくる。ここはもうNTTの営業所ではなく、ただの現場事務所だ。聞かれてもわからない。116の存在を知らないのだろうか。気持ちはわからなくもないが来客のたびに思ってしまう。なぜ116に電話しないのかと。そんなことを言うと「いやみんな知らないから」と同僚に返されるのだが、そういうものなのか。

2005.06.08

代替思考

 アパートに戻ると他の住人が流しで作業をしていて、職場に泊まったというと朝帰りを冷やかされた。一通り整理したあと洗濯や掃除をし、宅配便で商品を受け取り、日記を更新して出かけた。「餞別にせんべい」と会っていきなりせんべいを頂く。帰りに寄り道していろいろ用事を済ませ、最後にとあるスーパーに入った。レジに並んでいるとついにせきを切ったように雨が降り始め、どしゃ降りの大雨になった。

 常々タイミングの良さを自負している自分だが、このときほど感謝したことはない。それは大げさかもしれないが、しばし状況を見たあとレジ袋で荷物に防水処理を施し意を決して外に出た。途中また雨の勢いが激しくなるが、「滝行のつもりで」とか「こういうときにあえて状況を引き受けておくことが必要」などとわけのわからない理由をつけてひたすら前へと進んだ。なんだかいろいろ流し去りたかったのかもしれない。まあさっさと帰ればそもそもこんな事態にはならなかっただろうが、それはそれ。

2005.06.04

帳尻を合わせる

 月曜は体調不良にも関わらず暴飲暴食してしまい、火曜は予想外の出来事に翻弄されつつも片づけるものは片づけ、はずせないイベントのためにひさしぶりにゴールデン街へ行き、水曜は社長に呼び出されていたので早く帰り、木曜はお休み中だったチーフがやっと姿を見せ、前日に早退したH氏が休んだためフォローに奔走する。金曜はまたもH氏欠勤。チーフが抱えていためんどくさい図面が一気に来る。それら諸々のあおりをくらい、仕事が終わらず職場に泊まった。テレビでサッカーのバーレーン戦が始まったあたりで寝に入る。そして迎えた土曜日。

2005.06.04

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