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ヨーロッパ歳時記

〜主な祝日と年中行事〜

序 

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 中世の暦は教会の祝日によっている。1年のほとんどの日に聖人の記念日が当てられ、教会はそれを時間の順序に並べて暦をつくった。民衆は7月20日を「マグダラの聖マリアの祝日」の2日前と言い、11月11日を「聖マルティヌスの祝日」と言っていた。日曜日はその日のミサの入祭文のはじめのことばであらわされる。「カシモドの日曜日」(復活祭の次の日曜日)のように。

 殉教者を聖人として崇敬する習慣は2世紀には確立していて、殉教日が天国への誕生日として祝われ、聖遺物も崇敬の対象となっていた。聖遺物とは聖人に由来する遺骨や遺物であり、奇跡を呼び起こす力があるという。313年にミラノ勅令が公布され、キリスト教が公認されてからは殉教者が激減し、キリスト教に貢献して高徳の人生を送った者に証聖者 Confessor の称号が贈られた。4世紀にはこの証聖者も崇敬の対象となり、聖母マリア崇敬も普及していた。

 聖人の伝記は本来信仰を鼓舞するために教会で朗読されたので、レゲンダ legenda (「読むべきもの」の意)と呼ばれた。聖人を追懐して信仰の模範とするだけでなく、やがて神への救済の取りなしや代願(自分の代わりに神へ願いを届けてもらうこと)を求めるようになる。さらには聖人に病気治癒などの奇跡を起こす力があると信じられるようになり、5世紀にアウグスティヌスは神に対する礼拝と、聖人の崇敬の区別を力説しなければならなかった。

 聖人はもともと自然発生的なものであり、地元の司祭が認定する程度の権威しか持たなかった。そのため得体の知れない聖遺物が次々と教会に運び込まれ、由来のわからない聖人も次々と誕生した。12世紀になるとあまりの混乱ぶりに、教皇庁は厳格な列聖手続きを設けて「聖人認定」をおこなうと宣言するに至る。

 13世紀にジェノヴァ大司教ヤコブス・デ・ウォラギネ Jacobus de Voragine の編集した「黄金伝説 Legenda Aurea 」は、奇跡譚の強調を通じて物語性を強め、伝説化した聖人伝の集大成である。聖人伝の諸場面は絵画や彫刻となって教会を飾った。聖人にはそれぞれを象徴する持ち物(美術史でいうアトリビュート)がある。文字の読めない庶民が聖人を識別しやすいように、それぞれの聖人たちに関連の深いものを描いたのだった。

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