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2. 冬至祭と降誕祭
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11/終 or 12/初 待降節 Advent (Adventus)

 降誕祭を迎えるための準備期間。第一主日は11月26日のあとで聖アンデレの日にもっとも近い日曜日である。教会ではこの日から降誕祭までの各主日に厳かなミサがおこなわれる。

 南ドイツやオーストリアのチロル、ザルツブルク地方の農民の間には、「聖母運び」の行事がある。子供たちがうたいながら、マリアとヨセフの宿をさがして歩き、農家に聖母像を運び込む。一晩置いたあと次の農家へと、聖夜まで続く。

 

11/30  使徒聖アンデレ

 聖アンデレ S. Andreas Ap. は聖ペトロの兄弟であり、ペトロとアンデレはパレスチナのガリラヤで漁師をしていた。もともとは洗礼者聖ヨハネの弟子であり、イエズスの初期の弟子である十二使徒の中で最初にイエズスに従った。漁師や魚商人の他、ロシヤ、ブルゴーニュ、スコットランドの守護聖人として崇敬される。

 新しい教会暦が始まるときで舞踏や結婚が禁じられ、断食してつつしむ期間となる。民間では年始にちなんで運勢占いが盛んにおこなわれた。

 

12/4 聖バルバラ童貞殉教者

白い衣裳のバルバラは
よい夏の季節を予告する

聖バルバラの日に枝を切りなさい
クリスマスまでに花が咲く

 聖バルバラ S. Barbara V. et M. は3世紀頃、小アジアのニコメディア Nicomedia (現在のイズミット Izmit、トルコ北西部)の大地主の家に生まれたとされる。気品あふれる清純な美しさのために数多くの求婚者が現れ、娘を溺愛する父親によって高い塔に幽閉された。侍女が熱心な信徒であったためキリスト教に改宗し、父親が長旅に出かけると塔に三つ目の窓をつくらせて浴室に十字を刻んだ(三つの窓は三位一体を意味する)。

 これを知った父親は怒りのあまり剣を抜いて殺そうとした。引き渡されたあとの拷問にも屈せず信仰を固持するバルバラを、総督は見せしめのために各地を引き回し斬首する。父親は断頭役として娘の首を落としたあと雷に打たれて即死した。雷に打たれて死ぬことは神罰を意味し、最も不名誉なこととされる。中世の画家たちは好んで題材に取り上げ、その人気の高さは聖母マリアにつぐほどであった。聖画には三つの窓を持つ塔ともに描かれ、十四救難聖人のひとりで鉱夫や砲兵の守護聖人とされる。

 総督に引き渡されるときの道すがら、バルバラは桜桃(ユスラウメ)のつぼみを折って獄中の壺の中にいけておいた。それが処刑の日に見事な花を咲かせた。そのため「バルバラの枝」と称し、果樹園などで桜桃を切り取り壺に挿す習慣がある。またこの日「バルバラの麦」といって小麦を皿に入れ水にひたしておき、クリスマス頃の芽の出方で翌年の収穫を占う習慣もある。

 ドイツ圏には、それらが変化した「バルバラの枝」と呼ばれる恋占いがある。桜桃のつぼみがある枝を2、3本切って持ち帰り、花瓶に挿しておく。枝には恋人の名を記し、暖炉の上に置く。本来なら4月にならないと開花しないが、部屋の暖かさでうまい具合にクリスマス周辺に花が咲くと願いがかない、幸運が巡ってくるのだという。

 

12/6 聖ニコラウス祭

 12月5日の夜、オーストリアのミッテンドルフでは、麦わらで全身を包んだシャーブと呼ばれる麦わら熊たちが、激しくむちを打ち鳴らしながらどこからともなくやってくる。あとには白ひげをたくわえ大きな杖を持ち、天使を従え穀物霊や祖霊を伴った聖ニコラウスと従者のルプレヒト Ruprecht が続く。最後に山羊の毛皮をまといおそろしい仮面をつけた悪魔の群れが、牙をむきだし大きな角を振りかざしながら現れる。

 かつてゲルマンの最高神ヴォータンであった、冬と死の象徴、白馬の騎士が人々の中を飛びはねる。悪魔たちは手に持った小枝で人々をおどしながら暴れ回る。小枝はニコラウスの枝と呼ばれ、無病息災を祈る魔除けとされる。子供たちをつかまえては説教をし、袋から贈り物を配っていく。むちの音は冬の間、人里に現れる悪霊を追い払った。この日を境として、冬の主な行事には必ず仮面が用いられるようになる。

 

12/13 聖ルシア祭

 旧暦の冬至に当たる。この日から太陽の輝きが増すことを祝って、さまざまな儀式がおこなわれる。

 聖ルキア S. Lucia V. et M. はシチリア島 Sicilia のシラクサ Siracusa で貴族の家に生まれた。あるとき母親が重度の生理不順におかされ八方手を尽くしても回復の見込みはなく、シチリア島の聖女、聖アガタの墓があるカタニア Catania まで祈願に行った。一心に祈りを捧げていると病気が治り、のちに自分が相続すべき財産をすべて貧しい者に分け与えた。

 以前縁談があった青年はそれを知って腹を立て、ルキアがキリスト教徒であることを密告する。当時はディオクレティアヌス帝(在位284〜305)のキリスト教迫害下にあり、信仰を貫き通して304年に殉教した。彼女の名 Lucia は「光」を意味するため、光を司るとされるようになり、目を患った人々の守護聖人として崇敬される。聖画ではのどに剣を刺され、手にしゅろを持っている図、皿に目玉をふたつのせている図などがある。

 ローマでは6世紀頃から聖ルキアの記念祭がおこなわれた。7世紀の終わりにはウェストサクソン王家出身の学者、聖アルドヘルムによって殉教伝が著わされた。冬の間、太陽の光に恵まれないスウェーデンにその存在が伝わり、光の聖女としてたたえられる。18世紀からは冬至祭のユールがこの日に移動し、ルシア祭となった。

 保育園、学校、養護施設、病院などで、白いローブをまとい赤い帯をつけ、光の冠を戴いたルシアの乙女たちがろうそくを手に、行列を率いてこの日を祝福して歩く。ノルウェーではかつてこの夜のことをルシの夜と呼び、1年でもっとも長いこの夜は人々は働かないことになっていた。この夜からクリスマスにかけて精霊や小人が地上を徘徊する。恐ろしい魔女ルシ Lussi は、大胆にもこの夜に働こうとする者をこらしめるといわれた。この夜には農場の家畜たちがおしゃべりをすると信じられ、家畜たちにはふだんよりも多くの餌が与えられた。

 

12/21 使徒聖トマス

聖トマス様は足早に立ち去られます
この日のご喜捨をどうかお願いします
今日は聖トマス様の祝日ですから

 新暦の冬至。聖トマス S. Thomas Ap. は十二使徒のひとりであり、自分の目で見たものしか信じない愚直な性格の持ち主だった。イエズスの復活の証拠を求めたことから「疑り深いトマス」と呼ばれる。もとは漁師であったといわれるが建築にも才能を示し、大工や石工の守護聖人とされた。

 イングランドの各地では貧しい女や子供たちが、クリスマスの「施し」を受けるために「戸別訪問する」習わしがあり、主にフルメンティ(小麦をレーズンや香料とともにミルクで煮たもの)に使う小麦と、クリスマスのパンに使う小麦粉の施しを受けた。

 人々は「クリスマスの幸福と平安」を願い、慈愛に満ちた季節が始まる。このときの犯罪は二重の罪を犯すとされ、狼は灰色の足、ネズミは小さな灰色の子と呼ばれた。この日の前日は占いに適しており、クリスマス・イヴまで死者の霊が人里をうろつきまわるという。

 

12/24 降誕祭前夜 Christmas Eve

クリストメッテに木を倒すと
その木の家は十倍も長持ちする

 カトリック教会や英国国教会では真夜中にミサや礼拝がおこなわれる。これはイエズスが真夜中に生まれたとされるためであり、1年でもっとも夜の長い季節の夜に、この世に光をもたらす存在が生まれたということを象徴している。1日を前日の日没から数えたことが関係しているともいう。ミサでは神の子の誕生の賛美、誕生物語の朗読、託身(受肉)の儀式などを厳かに祝い、パンとワインによる聖体祭儀がおこなわれる。

 この日炉にくべる大まき(ユールの丸太)は購入したものであってはならない。他人から譲り受けたり、どこかで見つけてきたり、自分の土地に生えている木でなければならない。しかもこの日までは屋内に運び入れることは禁じられている。火をつけるのは夕暮れからで、そのとき前年の燃えさしを用いるのがしきたりになっている。

 点火後は途中で消えないように注意し、少なくとも一晩中燃やし続けなければならない。できればクリスマス季節の12日間ずっと燃やし続けるのが望ましい。燃え残った部分はすべて翌年の点火用として保存しておく。ユールの丸太は太陽がより明るく輝くのを助け、丸太の灰は病気を治し雷を防ぐと信じられた。

 

12/25 降誕祭 Christmas (In Nativitate Domini)

クリスマスが寒く澄んでいれば
最高に祝福多い年がやってくる

楽しいクリスマスを!
ウェールズ語:Nadolig Llawen.
ゲール語:Nollaig faoi shean.
アングロ・サクソン語:God Jul.

英語:Merry Christmas !
ドイツ語:Frohe Weihnachten !
フランス語:Joyeux Noel !

 

12/26 聖ステファノ殉教者

 聖ステファノ S. Stephanus Diaconus Pritimartyr は初の殉教者であり、「筆頭殉教者」とも呼ばれる。1世紀前半、使徒たちが最初のキリスト教会(原始教会)を作った時代、伝道活動の補佐役(のちの助祭)として選ばれた7人の代表となり活躍した。

 イエズスが神と同等であると発言し、ユダヤ教徒たちの激しい怒りを買って処刑される。ステファノが殉教したのは、イエズスが処刑されてからちょうど3年後の8月3日のことであった。これ以後、エルサレムにおけるキリスト教徒に対する迫害が開始され激しさを増すことになる。

 頭部へ集中的に石を投げつけられて殺されため、頭痛に苦しむ人々の守護聖人とされる。聖画では殉教の象徴であるしゅろを持ち、助祭服を着た青年として描かれた。象徴する持ち物は殉教具となった石である。

 この日は「クリスマスの贈り物の日」Boxing Day と呼ばれる。クリスマスを祝うことができなかった貧しい人々に、慈善を施す箱が持ちまわされて寄付を集めてまわる。日頃世話になる郵便配達夫や使用人に心づけを与える習慣も生まれた。

 中世まで北欧では新しい年のはじまりを祝って、早朝に農家からわき出る泉、あるいは川まで競馬がおこなわれた。この日の水には、新年の健康と活力をもたらす特別な効能があるといわれる。競馬の勝利者には新しい年の豊かな収穫が約束され、馬はいけにえとして泉の水とともに豊穣の神フレイに捧げられた。

 

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