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「再度、確認のために」

いつから素直にものが言えなくなったのだろう

 試しに「本当に伝えたいことは、言葉では言い表せないのではないかとふと思った」と書き出してみる。すると「今さらこんなことを書かなくても」「自分が未熟なだけじゃないか」といったことが頭をかすめる。書き進めるうちに言い訳じみてきて、文章はこの国の将来のように頼りなく、全国高齢者集会での鳩山由紀夫のあいさつのように、回りくどくうざったいものになってしまう。そのうち食事を済ませて腹もふくれ、そんなことはどうでもよくなってしまう。

 ふと「恥もてらいもなく」という言葉を思い出す。今の自分は恥とてらいにまみれている。試しに辞書を引いてみる。「てらう(衒う) 自分の博学や才能を見せびらかす」とある。自分は博学でも才能豊かでもないが、そうありたいとは思っている。だが中途半端な人ほど優越感にひたりやすいもの。芯がないのでこのようにすぐに焦点がずれてしまう。つい自虐的になってしまったが自己否定はなにも生み出さない。読者の存在を意識して書くとはよくいわれることだが、人の目を気にして言い訳ばかりだ。それでははき違えている。

 やはり襲い来る不安を知りつつも、自分の情熱にまっすぐにただひたすら書き続けるしかないのだろう。対外的な活動はもちろんのこと。そんなことを書くとはずかしくなってしまう。まず自分が固定観念にがんじがらめになっていると早く気づいた方がいいだろう。知識だけ多くて頭でっかちになっては、何もできない。先人には及びもつかず、下の世代の人たちにも大きく離されている。気負いだけあっても、実行に移さなくてはどうにもならない。実行に移したら続けなくては意味がない。

 たとえば会社を辞めて大学院に行き、心理学を勉強する人がいる。まわりに「私も時間があればやりたいんだけど」という人がいる。はじめの人はもしかしたら大成するかもしれない。あとの人は言うだけで一生実行に移さないだろう。書き進めるうちに、自分はあとの人なんじゃないかという気がしてきた。こんな時代だから夢が必要なんだと人は言う。夢を夢だと思えば叶うことはないと別の人が言う。今のままではなんとなく夢を追いつつ実行に移さないまま、流されて埋もれてしまう。ひとまず地に足をつけることが必要だ。ではどうすればいいか。


いつでも王道を求めている

いつの間にか言い訳が手放せなくなっていた



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