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サンタ・クローズの起源

 聖ニコラウス司教 S. Nicolaus E. は4世紀前半にギリシャやトルコで活躍し、トルコのミュラ Myra で推薦されて司教となった。子供や船乗りの守護聖人であり、ビザンティン帝国における聖人として崇敬され、11世紀にはロシヤの守護聖人にもなった。十四救難聖人のひとりにも数えられ、司教冠と杖、三つの玉とともに描かれる。子供たちにはニコル(英)、ニコラ(仏)、ニコロ(独)と愛称で呼ばれた。

 11世紀に遺骨がイタリア南東部のバーリ Bari に運ばれてからはヨーロッパ全域に知れ渡り、修道院の僧や学生たちの間で、聖人の業績をたたえる劇が上演されるようになった。当初は聖人の祝日である12月6日に上演されたが、のちに12月28日の「罪なき嬰児の殉教 Childermas/Holy Innocents' Day 」に移動している。これは殺されて樽に塩漬けにされていた3人の少年を蘇生させたという話から関連づけられたものである。そのため子供たちの守護聖人とされて12月6日には少年司教が任命された。

 ちなみに「罪なき嬰児の殉教」とはイエズスの幼児期の出来事である。ベツレヘムにユダヤ人の王となる救世主が誕生したと3人の博士から知らされた当時のユダヤ王、ヘロデ(在位前37〜4)は、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の幼児をすべて虐殺させた。イエズスとその家族は天使のお告げに従って、エジプトに避難しており無事であった。12月28日はその身代わりとなった幼児を記念する日である。

 13世紀に北フランスで聖ニコラウスの人気が高まると、劇の内容はより大衆化され、金塊の贈り物のエピソードが好んで上演されるようになった。これは隣に住む没落貴族の3人の娘に、夜中に気づかれないよう金塊をそれぞれ持参金として、窓から投げ入れて贈ったという話である。それによって彼女たちは体を売ることなく、無事に婚礼をあげることができた。

 劇の内容が民衆の人気を呼び、聖人に扮装した人が夜中に子供のいる家庭をまわり、しつけのできている子供には贈り物を与えるという習慣が生まれた。贈り物の習慣自体は昔からあり、ローマ時代のサトゥルナリア祭ですでに知られていた。常緑樹の小枝を森からとってきて幸運のしるしに贈ったのがはじまりである。キリスト教では異教的起源として忌避されたが、イエズス生誕の際に三賢者が贈り物を携えてベツレヘムを訪れたという故事や、聖ニコラウスの伝説によって正当化された。

 サンタ・クローズの語源は17世紀アメリカに移民したオランダ人の習慣がなまったもので、オランダでは聖ニコラウスはシント・クラウス Sint Klaes(Sinter Klaas) と呼ばれる。

 シント・クラウスは1年の大半をスペインで、子供たちのおこないを赤いノートに記録しながら暮らしているという。11月中頃、シント・クラウスの乗った船がアムステルダムに入港する。それからというもの、白馬にまたがって背中に袋をかつぎ、オランダ各地をまわって祝福して歩く。

 12月6日にはアムステルダムに戻り、市内をパレードして市民を祝福する。夜は屋根の上を白馬で跳びながら、煙突から子供たちのおこないを注意深く見ていく。暖炉のそばには、馬のために干し草やにんじんを入れた小さな靴がおいてある。子供たちは、「シント・クラウスがやってきた!」と楽しい歌で歓迎する。家庭や友人、職場でプレゼントが交換される。これがオランダの伝統的な聖ニコラウス祭である。

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