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クリスマスの起源

 新約聖書にはイエズスの誕生について記されているが、その日がいつかということは語られていない。アレクサンドリアのクレメンス(150頃〜215?)は、イエズスの誕生日を5月20日と推測し、この日に最初の降誕祭が祝われたともいわれる。初期においては日付が一定せず、1月1日や1月6日、3月21日などにおこなわれていた。

 旧約聖書の「マラキ書」第3章20節には救い主を「義の太陽」とする記述があり、イエズスをこの世の光、太陽と考える習慣があった。コンスタンティヌス1世(在位307〜337)は類似点の多いミトラ教との習合を考え、ミトラ教の「太陽の日 dies solis」をキリスト教の「主日」と結合し、321年公式に週1回の役人の休日とした。

 イエズス生誕の日が12月25日に決まったのは、325年の第一回ニカイア公会議とされている。このときペルシャ起源でローマその他に広まった太陽神ミトラの復活日(12月25日) Dies Natalis Solis Invicti (征服されざる太陽の誕生日)と、ローマの農耕神サトゥルヌスの祭り(サトゥルナリア、冬至祭として12月17日〜24日におこなわれた。21日〜31日という説もある)を取り入れたともいわれる。サトゥルナリア祭の期間中は家々に火がともされ、常緑樹が飾られた。贈り物が交換され、男たちは女の衣服や獣皮などをまとい、普段は禁止されていた賭け事に興じた。主人と奴隷が席を交換するどんちゃん騒ぎもおこなわれた。

 イエズスの誕生が12月25日として祝われた最古の記録は、紀元336年のローマの行事を記した「フィロカルスの暦」にある。ローマ教会では354年にはクリスマスが12月25日におこなわれており、379年からギリシャ教会もこれに従った。エルサレムの教会は、594年まで1月6日をクリスマスとしていた。

 東方教会では1月6日の主の公現が3世紀より祝われており、4世紀になってこの日にイエズスの誕生も祝うようになった。4世紀後半に東方教会と西方教会の祝祭日の交換をおこなったとき12月25日をイエズスの誕生とし、1月6日を博士たちの訪問やイエズスの洗礼を記念する日として両方を祝うようになる。ローマは主の公現日を450年までに採用し、アレクサンドリアはクリスマスを紀元530年頃までに採用した。採用までに長い時間がかかったのは、イエズスの受肉と人格に関する論争が背景にある。

 キリスト教はイギリスには6世紀の終わりに、北欧にはそれより少し遅れて紹介され、11世紀にはヨーロッパのほぼ全域がキリスト教化された。その過程でユールの祭りもクリスマスに取り込まれた。

 597年にカンタベリーのアウグスティヌス(?〜604頃)がイギリス伝道を開始したとき、クリスマスはローマ教会の三大祝日のひとつとなっていた。カンタベリーのアウグスティヌスは翌年のクリスマスに1万人以上のアングロ・サクソン人に洗礼を施したという。ラテン語による『イギリス教会史』(731)で有名なベーダ(673?〜735)は、この日がもともとは「母たちの夜」と呼ばれ、母なる女神の祝日であったと述べている。人々は改宗しても異教の祭を楽しんでいた。彼らは常緑樹を飾り、ユールの丸太を燃やし、仮面劇やまじない歌をうたい踊りに興じた。

 イギリスのクリスマスはユールと降誕節の習合として成立し、アングロ・サクソン暦はこの日から新年を数えることとなった。この習慣は中世末まで残る。アルフレッド大王(在位871〜899)は、クリスマスから公現の日までを聖なる期間と定め労働を禁じた。878年に王がデーン人に一時敗退したのはこのためだといわれる。なお上記の期間が聖なる期間と定められたのは、567年のトゥールの公会議においてである。

 「クリスマス」という用語は、アングロ・サクソン年代記の1043年の項で初めて使用された。その頃はChristes maesseの2語であらわされている。それ以前は「冬至祭」または降誕を意味する「Nativity」の語が使用されていた。ちなみに Xmas は Christ の語源となったギリシャ語の「ΧΡΙΣΤΟΣ」(khrstos)の頭文字を代用としたことからきている。

 日付にまつわる補足として以下のページを挙げる。

・クリスマスの日の起源
http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/rkxmas.htm
・お正月の始まり
http://www.city.yokohama.jp/yhspot/ysc/izumo/shogatu.html

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