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第2回 中世の放浪教師

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 昔、学問は旅を抜きにして語ることはできなかった。かつて、教師たちが各地を放浪した時代があった。

 中世の教育は、主に教会によって営まれていた。ベネディクト会をはじめとする修道会が各地に学校を設立した。だがそれらの学校は、9世紀のアーヘンの宗教会議により、聖職志願者以外に対する教育を禁じられた。それでも内校と外校に分離し、院壁の外部に作られた外校において俗人の教育を行っていた。中世都市の勃興にともない、11世紀頃から都市の教会学校が興隆すると、修道院学校はその教育上の重要性を失っていった。

 中世都市における教会学校は、基本的に教会の司教区制度に基づいた行政区分にしたがって設立されている。司教区と呼ばれる地域がいくつかの区にわけられ、さらにその区が最小の教区に分割される。それぞれの教区に教区教会が置かれ、これらの教区教会を統括する司教座聖堂が、司教区全体の要として設置された。

 1250年のフィレンツェの例をとれば、町全体がひとつの司教区であり、その中に96の教区が存在していた。教皇庁は司教座聖堂に付属の学校を設置させ、その管轄下の教区教会の司祭にも学校を維持するように命じた。この司教座聖堂学校と教区学校は原則として無償で、一般の民衆にも解放されたものとなっていた。

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