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 都市にはまた、多くの宿屋や居酒屋、娼家があった。たとえば14世紀前半に南フランスのトゥールーズ(人口2万人)では、70の旅篭・旅館があった。1416年のブリュターニュのドルでは、3000人以下の人口に対して51を数えた。また13世紀のパリには4000の居酒屋があったといわれている。
 15世紀にトゥールでは、ブドウ酒の年間消費量は成人一人当たり148〜178リットルにのぼった。過度の飲酒は時がたつにつれ、信用の失墜、事故、場合によっては犯罪の原因になる。トゥーレーヌでは、明らかに飲酒が原因となった暴力や殺人事件は35%にのぼった。15世紀のパリでは犯罪の50〜75%が殴り合いや侮辱で占められていた。

 そうした犯罪や暴力に対する治安維持のためのさまざまな条例もまた14世紀以来さまざまな内容をもって公布された。たとえば、15世紀トロワの都市条例は次のように宣告している。「いかなる身分の者も、ナイフ、剣、短剣、棒を持って町を歩いてはならない。違反した場合はそれらを没収し、10スーの罰金の支払いを命ず。ただし、国王の官吏だけは武器をもつ権利を有する」。
 パリでは13世紀以来王令により、シャトレ裁判所の管轄する騎馬警官と徒歩警官が日中の都市内の見回りをおこなった。その数は13世紀末でそれぞれ80名ずつだったが、14世紀末にはそれぞれ220名に増加した。特に夜は「公的秩序の転覆」を秘めており、治安の維持はより困難だった。そうした夜間の治安維持のために夜警隊や警備隊が組織された。

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