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 とはいえ中世後期には石造建築も教会や公共建築ばかりでなく、都市の富裕な上層階層の人びとの住宅にも用いられるようになった。有力者層は、市場広場に近い都市中心部に住居を構える場合が多く、居住地域の序列化の傾向もみられるようになった。
 街路は泥と埃にまみれていて、清潔とはほど遠かった。『サン・ドニ年代記』には以下のようなフランス王フィリップ・オーギュストに関する逸話がある。

 あるとき、国王は宮殿にあって、彼の為すべき仕事、たとえば、彼の王国の精巧な輪郭を形づくってっているものをどのように維持し、改良していくかについて考えにふけっていた。彼は、居間の窓にもたれ、時折そうするように、セーヌ川を眺め、気分の転換をはかった。その瞬間、二輪馬車や四輪馬車が街路を駆けて行き、道路に充満していた泥や埃をまきあげたので、耐えられないほどの悪臭がわきおこり、国王が座っている窓にまで上がってきた。顔を歪めるほどの悪臭を感じたとき、彼は胸がむかつきそうになって窓から身をよけた。......そこで彼はパリの裁判官やブルジョワを呼び寄せ、この町のすべての街路や道路を大きくて堅固な砂岩の敷石によって、十分に、念入りに舗装させるように命じた。

 このような敷石で舗装がなされるのは、パリやフィレンツェといった大都市を除けばきわめて遅かった。15世紀になっても都市内で豚をはじめとする家畜が飼育され、多くの住民がごみや汚物を路上に投げ捨てていた。都市文書には、汚染がいかにひどかったかがしばしば記されている。このような衛生上の問題に対し、市参事会を中心とする都市当局は13世紀以来さまざまな条例を発布してその解決をめざした。

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