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2003.9.1〜2004.7.31

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2004.6.30(Wed)

 先月から臨時で来ていた人が今日ついに最終日。ここかしこで動きがありそうな気配。表だっては言われないが、やはり個々人それぞれの思惑があることを再認識する。関わりたくない自分としてはつかず離れずできることを、か。

2004.6.29(Tue)

 今回は大丈夫とさんざん言っておきながら先月に続いて遅配。結局そうなのか。またも定期代を借りるはめに。来月こそは。

2004.6.28(Mon)

 すっかり帰るのが遅くなってしまったと思う今日この頃。それでも残業代は全額支給されるのがありがたい。というかそこが頼みの綱。計画の行方はそこにかかっている。

 同僚にせっかくいい大学出ているんだから国家公務員種とか地方上級職めざしたらどうなのと言われる。親的にはそれが一番だろう。一時期考えなくもなかったが、今さらそんな気にもなれない。多少の安定だけが取り柄と思っているからだろう。趣味に走るならそれもいいかもしれないが。

2004.6.27(Sun)

 自分の中で整理がついたので後々のために手を打っていた。

2004.6.26(Sat)

 CDを売って得た金で高河ゆんの『LOVELESS』4巻限定版を買った。いつものように物色した後、レジに注文票を差し出す。なんとなく満ち足りた気分になる。この人のマンガはときどき、ぴったりと自分のつぼを押してくる。

 書店のレジは女の子が多い。というか今はなきかつてのバイト先をのぞいては、ネクタイを締めていない男がレジに立っているのを見たことがない。いろいろなことを考えあわせると女子レジに行き着くのかもしれない。もちろん違うところもたくさんあるだろうが。

2004.6.25(Fri)

 自己主張が強い人々に囲まれて、知らぬ間にバランスを取る人になってしまったような気がする。黙々と働く。陰から支える。たいしたことをするわけではないけれどいないと困る。そんな感じ。

2004.6.24(Thu)

 二度寝して起きあがると急がなければ間に合わない時間になっていたので、あわてて準備をしていた。もう出る時間だと思い時計を見ると、時間が早まっていた。狐につままれたような気分で他の時計を見ても同じだった。ほっとして一気に目が覚めた。助かった。ありがたい。

 「怒ったことってある?」と聞かれるほど職場では穏和な態度をとり続けた自分だが、今日ばかりはさすがに言わざるを得なかった。自分のことがいいように言われているのは我慢するにしても、隣で果てしなくくり返される水掛け論がたまらなくうざったい。ぴしゃりとたしなめてからはぐっと静かになったが、おさまらないのは自分の方だった。気持ちを抑えて図面と格闘していると、そのうちチーフが帰ってきた。片方が聞いてあっさり解決した。まったく。

2004.6.23(Wed)

 所持金が月末の給料日まで普通ならもたないだろうという金額になった。もたせられる算段はできているが、余裕ができるようになってからまた荒くなってきたので気をつけなければ、と思う。

2004.6.22(Tue)

 昨日は夏至で、今日は旧暦の立夏だった。気温は夏そのもの。二度寝三度寝が続いている。新しく入るかもしれない女の人が来た。他の部署で働いている人の奥さんで、以前Macでillustratorを使って図面をつくっていたそうな。

2004.6.21(Mon)

 今さらなミスを連発。やはり予感には従っておくべきだった。深く反省する。台風は足早に通り過ぎた。

2004.6.19(Sat)

 ついに国民健康保険の納付書が届いた。保険料を見て驚き、ほっと胸をなで下ろす。助かった。これでひとまず今年は大丈夫。

 新宿のDDIポケットサービスカウンターで、京セラ版AirH"Phoneのファームウェアアップデートをしてもらった。もっさり感も解消されてだいぶ使いやすくなった。最近では売り物のOPERAはあまり使わず、メールマガジン読みに重宝している。使わなくなったLinux版ザウルス(SL-C760)を、同僚はなかなか満足して使っているようなので売った本人としてもうれしい。

2004.6.18(Fri)

 今月から来た同じ派遣元の人にはすでに孫がいるらしい。お子さんの年齢が気になったので聞いてみると、本人が41歳で娘さんが自分と同じぐらいの年。差を計算して初めて驚き、計算が合わないんじゃないですかと思わず聞いてしまった。昔ならいざ知らず、普通ならまずあり得ない年で子を持つ親になったことになる。だからいろいろ苦労したんですよと返される。幹部だった年上の奥さん共々昔はかなりつっぱっていたそうで、そんな話本当にあるんだなと感じ入ってしまった。

2004.6.17(Thu)

 ある事務処理のためにかり出され、工事長の席で作業していた。必要なソフトが入っていて空いている席はそこしかない。他の人たちが工事長と呼んでからかってくる。やっていることは簡単で単純作業なのだが、件数が多くひどく疲れた。そういうものなのか。

2004.6.16(Wed)

 職場の人が出勤前にバイクの事故で入院したそうな。他の人が事故にあったばかりなので、冗談だと思った人もいた。あとで箝口令が敷かれた。労災がからむからじゃないかという噂だ。

2004.6.15(Tue)

 あと半月で運転免許証が失効する。最強の身分証明書が失われるのは惜しいが、自分としてはむしろ望むところ。他にもいろいろ理由はあるが、ある時期からなぜか免許証を持っていることによけいなストレスを感じるようになった。他の人たちはやはり異口同音に反対し、いらないならくれという人もいる。できるなら譲りたいところだがさすがにそうもいかない。

2004.6.13(Sun)

 イラクで人質になった高遠さんがゲストとして登場するということで、「ヒバクシャ〜世界の終わりに」を見にひさしぶりにアップリンクファクトリーへ行った。同じような人がたくさんいたのか開場前のドア付近には階下へと続く長い行列ができている。

 よく上映前に言われる「ではごゆっくりとお楽しみください」という言葉が今回に限って気になった。だが考えてみれば監督は何も絶望にひたってほしいわけではなく、何らかの希望を伝えたいのだろうから気にする必要はないのかもしれない、と自分の中で解釈して映像に集中した。知識として知っていたことを映像を通して体験できるのは興味深く勉強になる。そんな風に書くのは気が引けるが。

 申し訳ないが自分の中では、きっかけとなった劣化ウラン弾により被爆した子供たちを追ったイラクパートよりも、次のアメリカパートの方が集中できた。ワシントン州ハンフォード。原爆を製造した施設があり、風下の住人たちは被爆した家族が次々死に反対運動を行っている。他の住人たちは「国を守る」核施設があることを誇りに思い、反対派を嫌っている。施設で働く専門家はしきりにデータに基づく思考を強調し、被爆と病気は関係ないという。政府を訴えたトム・ベイリー氏はいろいろなものを失い、彼の弟は被爆の影響を気にすることなくジャガイモの栽培や牛の飼育に精を出す。汚染されているとは思わない。ジャガイモや牛肉は主に日本へ輸出される。施設は内部告発によりプルトニウムを製造中止し、現在は浄化が行われている。

 低線量被爆研究の第一人者的存在で自らも被爆し、広島で被爆者たちの診療に従事する肥田医師や他の人々の生き様を見ていると最初は望んだことでなかったにしろ、ひとつのことに命を懸けられてある意味幸せなんじゃないかとさえ思えてくる。そんなことは身近に被爆者がおらず、被爆者でもないから言えることかもしれないが。

 高遠さんは近くまで来たものの、話を聞きつけたマスコミの取材に巻き込まれて具合が悪くなり帰ってしまったそうだ。よけいなことをする。監督の鎌仲さんが高遠さんから預かったメッセージを読み上げ、会場は息が詰まりそうなほど音がなくなった。その後高遠さんとの話や映画の裏話を語り、たとえ微力でも行動することの大切さをしっかりとした口調で話していた。泣きはしながったが涙が出そうになった。

2004.6.12(Sat)

 あらかじめシナリオがあったとしても、結局自分がどうしたいかという問いが未来をつくるんだろうなとしみじみ思っていた。それさえも折り込み済みかもしれないが。

2004.6.11(Fri)

 MDF室に招待を受けたので一度ぐらいはいいかと行ってみた。配線の大本であるMDF室の朝は早くほぼ定時に仕事が終わるので、酒好きの担当者は夕方から飲んでいる。一緒に行った同僚の他にはひとりをのぞいて誰も行きたがらない。

 他のスコッチの原酒になるようなウィスキーを飲みながら、よく話す同僚の横でおとなしくしていた。いろいろなことの謎解きができたような気がする。同僚はMDF室への異動を切望しているが、ことごとくつっぱねられている。生意気ぶっているからだろう。

2004.6.10(Thu)

 今の職場は若手の子持ち率が実はかなり高いことにふと気づく。金なし暇なし出会いなしを嘆いて風俗に走っていた前の職場の数少ない若手とは対照的だ。ある人は価値観の差だと言っていたがその差はなんだろう。

2004.6.8(Tue)

 腹が痛いのでめずらしく定時で上がった。具合の悪さは体ががんばって闘ってくれている証と思おう。ともかく昨日あらかた終わらせておいて助かった。部屋は暑いがこういうときは助かる。

2004.6.7(Mon)

 先週の木曜日から来た人が救急車で病院に担ぎ込まれたという。下血したとか気胸だとかいう話を聞いたがそんなにストレスがたまっていたんだろうか。まわりでは早くも脱落かという声があがっている。まあ今の時点では何ともいえない。

 そういえば先月突然やめた人とやっと連絡がついて社長が話したら、親の話を持ち出したりして自分は悪くないの一点張りだそうな。「親離れしてねぇんだか子離れしてねぇんだか知らねえけどはったおすぞ。おまえがやめたあと残ったやつらがどれだけ苦労したかわかってんのか」と社長が一喝したらやっと少し気がついたらしい。いやはや。かなりいい年なのに。

2004.6.6(Sun)

 いつもより少し早めに目が覚めた。Macに向かっているといつの間にか雨が降っていた。たまたま「電車男」のサイトを見かけてからは、買い物に出かけるつもりだったがそんなことはどうでもよくなっていた。秋葉原系のオタクが2ちゃんねるの住人の助けを借りながら、電車で助けた女の人と見事つきあうまでの書き込みが再編集されて載せられている。読んでいる内に興奮して最後には涙が出そうになった。リアルタイムで追いかけていた人はすごい。一歩踏み出す勇気って大事だなとしみじみ。

 夜オーメンプロジェクトの上映会へ行った。会場は満員でいすが固くて終わる頃にはかなり疲れていた。帰る途中あることがきっかけで、ひさしぶりにしなくてもいい自己嫌悪に陥った。不器用すぎ。

2004.6.4(Fri)

 設計の人と現場管理の人で残業中いつのまにか激論がかわされていた。これからは現場さんに聞かせられない話になるからと言って、一方が残っていた現場の人たちを帰したほどだった。トラブル続きでたまった不満が爆発したのか。見解の違いと言ってしまえばそれまでだが、折り合いの付け方がむずかしい。

 派遣先の会社で以前設計をやっていた人が戻ってくるかもしれないらしい。丁寧に仕事を進めながらも自分の考えを譲らない女の人だそうで、そうなれば「俺がルール」のチーフとの衝突は必至だ。最近チーフに山ほど図面を振られて泣きが入っている同僚はいやがっていたが、すでに自分の考えを譲らない人がふたりいるのだから今さらひとり増えたところでどうということはない。好きにしてほしい。まあ本当になったら自分は設計から他へ移されるだろうがそれはそれ。

2004.6.3(Thu)

 派遣先の部長と一緒にBフレッツ(マンションタイプ)のラックを届けに行った。職場では最軽量なので最初は冗談かと思った。車の中で出身大学の話になり、せっかく国立一期(旧帝大)を出ているのにもったいない、親が泣いているぞというおきまりの話に始まり、ついには「おまえは選択を間違えている。途中まではレールに載っていたが、そこからはずれてしまった。今ならまだなんとか間に合うから早く戻れ」と言われてしまった。

 似たようなことはよく言われるが、当時は教師になったり役所に勤めたりと公務員になる気がなかったのだからしかたがない。昼休みに部長はしなくていいのに他の人たちにもその「もったいない」話をしていた。そこまで言うことかと思いつつ、確かに2000年の11月あたりから選択を間違えた気がするのも事実だった。それまではだいたい予定通りだったが、2001年の2月に今の派遣元に関わってからは予想外のことばかりだ。まあいい。

 他に部長には人と関わるよりひとり黙々と研究している方が向いてそうだから理系に進めばよかったのにと言われた。理系云々はともかく、やはりそう見えるかとそれだけは妙に納得した。

2004.6.2(Wed)

 派遣元から代わりの新しい人が来た。なんでも派遣元の幹部が頭が上がらない人らしい。金曜日からの勤務で、その人とは別に明日また新しい人が来るんだそうな。

 職場の人に前からくれと言われていたLinux版ザウルス(SL-C760)を売ることにした。京セラ版AirH"Phone(略して「京ぽん」)を買ってからはさらに使わなくなっていた。今までPDAを買ってもネットにしか使わず、使い倒さないまま手放していた。自分には京ぽんで十分か。

2004.6.1(Tue)

 給料の振り込みが間に合って一安心。先月は少し使いすぎた。今月は自粛だな。

 本当なら昨日までには自身の手術で休んでいた人が復帰する予定だったが、家の事情で何ともいえないらしい。最初は一週間という話だったが、かなり長引いているのでもう戻ってこないんじゃないかとかもういないものだと思っているなんて声も聞こえてくる。とはいえ親が統合失調症というのはちょっときつい。明日決まるそうだがさてどうなるか。

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