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 中世都市の市民たちは、教会学校では充足されないような知識、すなわち市民生活を送るうえで必要となるさまざまな世俗の日常的知識を要求した。読み書きはもちろん、そろばんや算術、さらには商業簿記の初歩、ラテン語文法と密接に関わる文書の作成など、さまざまな教育を求めた。そのような教育要求に応じる形で、自然発生的に各地を渡り歩く私的な教師たちがあらわれた。

 彼らこそ教会にも特定の都市にもしばられない、真の意味での放浪教師だった。需要のあるところならどこへでも行き、必要な知識を生徒に与え、見返りに授業料を得て生活した。その意味で彼らは都市の他の商人と同じく、知識を売ることによって生計をたてる商人だった。それまでの中世社会には存在しなかった、教職を真の意味での職業とする教師たちがあらわれたのである。

 彼らは中世都市の発展とともに増加した。12世紀ごろから史料に出現するようになり、13世紀以後に急増する。新興市民層や商人層の世俗的で現実的な教育要求が高まっていくにつれ、彼らもまた都市の内部に増加していった。

 ほとんどの場合、彼らは自宅に生徒を集めて教授した。評判を得て多数の生徒を集めた教師の場合は、教会を借りて教授したり、家屋を借りて寄宿舎を持ち、寄宿学校と呼べるような学校を維持した者もいた。名声ある教師の出現は都市の名に花を添えるとともに、そこに集まってくる多くの人々で都市をうるおわせた。

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