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1. 冬のはじまり
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10/31 ハロウィーン Allhallows Even

真っ暗な真夜中に
妖精たちは馬に乗って繰り出してゆく
恋人を救おうとするならば
四つ辻でじっと待たなければならない

タム・リンのバラッド

 万聖節前夜。ケルトの暦では1年をしめくくる最後の晩であり、1年のうちでもっとも魔力が満ちる日だとされる。四季を繋ぎ合わせている継ぎ目に透き間が空いて時間と空間の構造にひびが入り、死者の世界と生きている者たちの世界とが接触できると考えられていた。先祖の霊は地上に戻り、妖精は真夜中に馬に乗って宮殿から繰り出してゆく。悪霊を遠ざけるために各地の山頂でかがり火を焚き、各家庭でも火を絶やしてはならないとされる。

 

11/1 万聖節 / 諸聖人の祝日 Allhallowmas (Festrum Omnium Sanctorum)

 この日は日の出から日没まで、地上のあらゆる神々が崇拝された

アイルランドの伝承

 ケルトの暦では1年のはじまりであり、儀式がおこなわれた。かがり火を焚いてその炎をたいまつに移し、畑や実りを恵んでくれた果樹などをあぶる。そうやって太陽の熱や光が遠ざかる冬の間も、太陽の守護を受けられるようにと祈った。

 万聖節は殉教者の祭りとして、教皇グレゴリウス4世(在位827〜844)によって835年に11月1日と定められた。万霊節が11月2日としてローマの教会暦に現れるのは14世紀になってからである。

 

11/2 万霊節 / 煉獄の霊魂の記念日 Soulmass

 煉獄にいる諸死者の霊魂を思って一日も早く浄罪を終えて煉獄から出られるように祈る日。死者を記念することは使徒時代からおこなわれていて、中世初期にはすでに記念日が定められていた。900年代、ドイツの修道院で10月1日に万霊節を祝ったのが最初とされる。

 998年にフランス中東部の大修道院クリュニーの第5代院長オディロン Odilion は、「諸聖人の祝日」の翌日に諸死者に対してミサを捧げるよう、傘下の修道院・修道士たちに命じた。オディロンがシチリア島のエトナ火山の近くで、「施物や祈りによって死者の魂が自分の手から奪われていく」と嘆く悪魔のうめき声を聞いたためと伝えられる。

 煉獄にとどまっている死者の魂が出てこられるように、かがり火を燃やして案内する行事がおこなわれた。人々は食べ物や飲み物を供えてあたたかくもてなし、万霊節のパン soul cake を食べる。この日のパンは魔除けのためのお供えであり、死霊から身を守る力を蓄える食べ物であった。

 

11/6 聖レオナルドゥス隠修士

 かつて南ドイツなどの農村には、季節の変わり目に馬に乗って耕地をまわる習慣があった。それがキリスト教のもとで、家畜、特に馬の守護聖人とされる聖レオナルドゥス S. Leonardus の祝日に移ったとされる。村人の巡礼の行列が収穫された野菜や麦の穂束を積んだ荷馬車に導かれ、レオンハルト教会まで厳かに進んでいく。行列の前後では若者が馬に乗って歩を進める。畜舎に聖レオナルドゥスの似姿を飾ったり、馬の蹄鉄を奉献する習慣もあった。蹄鉄は魔除けや幸運のお守りである。

 

11/11 聖マルティン祭 Martinmas, St. Martin's Day

聖マルティンが白い髯をはやし、白い馬に乗ってくると
冬は長く厳しくなる

 冬のはじまりの日。かつては1年のしめくくりの日でもあった。ゲルマン人の最高神ヴォータン Wotan をまつった収穫祭であり、ガチョウがいけにえとして捧げられる。マルティンの火(かがり火と燃えさかる車輪)、マルティンの歌、ガチョウ料理、恋占い、天気占いなど多くの民間習俗がこの祝日と結びついた。中世には11月だけでなく、司教に叙任された日として7月4日も祝われた。7月4日は旧暦の夏至祭(洗礼者聖ヨハネの誕生日)の前日でもある。

 前夜、かぶやカボチャでつくった提灯に火をともし、白馬にまたがった地元の代表扮する聖マルティンを先頭に、マルティンの歌を歌いながら行進する。行進が終わると子供たちは小グループにわかれて近所の家々を回り、玄関先でマルティンの歌を合唱して小さな菓子をもらった。かつては聖マルティンの日から「聖マルティンの40日間 Quadragesima Sancti Martini 」(のちの待降節)が始まり、この夜は断食前の最後のときとして大いに飲み食いされた。

 この時期には牧草が不足してくるので、冬の間は飼い続けることができない牛、羊、豚を屠殺する日とされた。町や村の広場では年の市が立ち、肉や農作物が山のように積まれる。ブドウ栽培者が次の年の豊饒を祈願して初物を捧げ、新酒の味をみる日でもある。この日に人々は地代を払い、貸借の整理をすませた。

 

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